薩摩は人を持って城となす。

歴史

 姫路城はまっ白くなりました

長い改修の工事期間が終わり、いよいよ今月末に姫路城の見学が始まります。

改修工事のカバーが取れて、現れた姿に違和感を感じた方もいたのではないでしょうか?

なぜかと言いますとその姿がなんと、まっ白だったからです。

これじゃまっ白鷺城ですね。

でも白いのはしっくいの色で、次第にカビが付いたりして色もくすんでくるそうです。

ですから真っ白い姫路城も今しか見られないそうですよ。

 

鶴丸城には天守閣はありませんでした

ところで私の住んでいる鹿児島市には鶴丸城の跡地があります。

現在は、堀や石垣が残るのみです。本丸のあった所には黎明館という歴史資料センターが建っています。

もし城が残っていたとしてもあまり見ごたえはなかったかも知れません。

 

IMGP1087鶴丸城跡です

 

というのも薩摩の領地を守る考え方は、ちょっと変わっていました。

薩摩には「城をもって守りと成さず、人をもって城となす」という思想がありました。

本丸の城には天守閣もなく、城自体も屋形造りというものでした。屋形造りなんて防備上の問題があり過ぎますよね。

その代わりに領内にいくつもの山城をつくりそこを家臣たちに守らせていたのです。これを外城制度といいます。

ですから薩摩の城は天守閣がない屋形造りだったのです。77万石の大名の城にしては珍しかったそうです。

 

 

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